建築機器開発の経緯・技術とは
工業針が開発のキッカケとなった。
弊社は昭和14年から大阪でピン針やゼムクリップの製造を開始しました。しかし、戦争が激化したことにより、三重県伊賀市に工場を移転。この頃から鋼ペン先の製造にも着手しました。
ピン針やゼムクリップの原料は、線材です。同じ材料を使って製造できるホッチキス針の生産に着手するのは、当然の流れでした。また、私たちはペン先の精密なプレス加工技術を持っていたことから、ホッチキス本体の製造を開始。ドイツBEA社と技術提携により、多線機という日本で初めての高性能な製造技術を導入することにも成功しました。
この多線機が立川ピンの製造領域の拡大に大きな役割を果たしました。ホッチキス針に続き、工業針を生産。さらに、連結釘、タッカ、釘打機と手掛け、日本国内はもちろん、ヨーロッパやアメリカに輸出するようになり、今日に至っています。
立川ピン製作所は、モノづくりの初心を忘れないようにという思いを込め、さまざまな業務領域の原点ともいえるピン針からピンを取り、現在の社名になりました。
優れた線材加工技術と精密なプレス加工技術こそが、タチカワ製品の特徴。
私たちは、品質と量、そのどちらにもこだわりを持ってモノづくりを行っています。高い評価を受けているペン先やステープルなどの生産体制を支えているのは、線材加工の優れた製造技術とペン先により培われた精密プレス加工、メッキ、焼入れの技術です。これらは、一朝一夕に身に付く技術ではなく、歴代社員それぞれのモノづくりへのひたむきな姿勢が形になったものです。
先にも述べた工業針、フィニッシュネイル、連結釘など、ピン針やペン先以降に生まれた製品には、ふんだんにそれらの技術が生かされています。特にペン先は、現在もなおプロのマンガ家の方々に愛用され続けており、それらのマンガが世界でも高い評価を獲得しています。